読書の重要性
実はブログを書くという作業、かなりの時間を要しています。
文章を書くということが、自分にとってどれだけ大変な作業か実感しています。
書いてからも、すぐに投稿せず、少し時間をおいて再度確認したり、誰かに校閲してもらったりすることもあります。
言い回しがおかしくないか、唐突すぎないか、起承転結がそこそこ構成されているか。
誰かを傷つけることはないか。兼業主婦の一意見にすぎませんが、公に自分の気持ちを述べるというのはとても慎重になります。
何にしてもそうですが、何かを作るという作業、生み出すということは簡単なことではないわけです。
わたしはこれまで本を満足に読んできませんでした。
幼少期、絵本は沢山読み聞かせてもらいましたが、自ら進んで本を読むという作業をしてこなかったように記憶しています。
漫画本を買ったことはありません。少女マンガも禁止されていたので読む機会も読みたい気持ちもありませんでした。
学生の頃は、国語が好きでした。作文や論文も苦ではありませんでした。
漢字も好きで、漢字検定準二級を所持しています。
けれども、漢字を書く事が減った今、私にとってその資格は全くもって使い物になりません。
文章を書く作業も一向にスムーズにいきません。
元々、文章を読むのがとても遅く、速読術を身につけようと本を読んだりしましたが、やはり身につきませんでした。
映画やドラマは好きなのですが、その原作本を読んでみるに至るのはかなり稀なケースです。
テレビに費やす時間
読書をするのに相当な時間を費やさなければいけないのでどうしてもその時間が捻出できず、手軽に視覚から情報を仕入れられる情報媒体を使うことが多くなります。
逆に言うと、これまで相当な時間をテレビという媒体に費やしています。
見なくてもいい情報番組や必要ではない時間までも、慣れということからテレビをつけっぱなしにしている環境でした。
2年前までは。
あるきっかけがあってテレビを無駄につけることをやめました。
これまでも食事中はテレビを消そうとか、そういった約束事はありましたが、テレビを見る時間を制限するというのは初めてのことでした。
その理由とは、テレビを買い替えたこと。今まで見ていたサイズよりもさらに大型になったために、子供たちへの目の負担を考えました。
4Kなら大丈夫とか、ブラウン管テレビじゃないから問題ないとかあるのかもしれませんが、我が家では子供の起きている時間帯は極力スイッチをオフすることに決めました。
見たいアニメだけ見る。見たい時間帯に見られないものは録画して見る。
当初、今までさんざんEテレを見ていた子供たちは、昨日までは自由に見ることのできたテレビがなぜ見られないのか納得できませんでした。
アルコールやたばこと同様にテレビも中毒症というものがある気がします。
けれども、数日たつと、あっという間にテレビを見ない生活に慣れ、ラジオや音楽を楽しむようになっていました。
なければないで問題がありません。そして、テレビを見られるということに対して特別感すらわきます。
今日は特別に、この特番だけみんなで見よう!とか、日曜日の夕食はテレビをつけながらご飯を食べようか!とか。
そもそも我が家ではテレビはPCと接続して、写真のスライドショーを見たり、家族のビデオを見たり、
スポーツバーに憧れて、映画やアーティストのDVDやPVを観たくて壁掛けにしました。
夫が仕事でCADシステムを組む時にも使うので、さまざまな役割を果たします。
けれど、毎日つけっぱなしにしている必要はないわけだったのです。
時間配分の調整
テレビ生活から脱却してメリットの多い生活です。
子供たちも私も、ラジオ生活にシフトしてから、意識して聞く感覚を覚えました。
テレビの画面上にアナログ表示されていた時計を見ることがなくなり、時間を意識して動くようになりました。
せっかくなので並行して、タイムスケジュールを書くことにしました。
1週間の時間割を立てたり、1日のスケジュールを書き出したり、1ヶ月でやることをカレンダーとは別に書き出したり。
時間を区別するようになりました。
まだまだ時間配分をうまく調整することは難しくもありますが、だいぶ意識が変わったと思います。
習慣を変えるというのは、面倒だったり億劫だったりではありますが、大変なことではありません。
何かを変えると、伴ってさまざまな変化が生まれるものです。
やってみて、違ったらまた戻ったり、手直ししたらいい。そう思います。
タイムスケジュールのお話はまた次回に。